10. 生体リズムと睡眠
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1. 概日リズム
概日リズム(サーカディアンリズム)
私たちの生理的反応や行の中には約24時間ごとのリズムをもって生じたり変化したりするものがある
ホルモンの分泌、体温の変化、覚醒・睡眠など
明暗の日照リズムが約24時間である地球上に生きている生物として、長年の進化の過程で獲得された性質だと言える
外的手がかり
日照や気温の変化など地球の自転に伴って生じる環境変化
人間の場合ならば時計によって知った時刻に基づいた行動の結果としてのリズムもあろう
外的手がかりが奪われた環境下で何日も生活すると、そういう環境に置かれた当初から人間の覚醒・睡眠のリズムは24時間よりも長くなり、一日約25時間のリズムで寝起きするようになることが知られている(Dement, 1975)
通常の状況下でみられる概日リズムのいくらかは、そういった外的手がかりによって生じていることになる
しかし、たとえこれらの外的手がかりがなくても概日リズムが全く失われるわけではなく、ある程度は覚醒・睡眠の周期が保たれているとも言えるので、概日リズムを生成する機構が体内に存在していることが示唆される
ちなみに、日照などの外的手がかりがない場合にすべての動物種で概日リズムが長いほうにずれるわけではなく、逆に短くなる動物もある
以下のような諸研究により視交叉上核(suprachiasmatic nuclei:SCN)が生体の概日リズムを司るマスタークロックとしての働きを有することが示されている
ラットの脳の活性化部位を調べたところ、昼夜で差が大きかったのは、視床下部の一部である視交叉上核の神経細胞であり、その部位の代謝活動が日中に多く、夜間に少なかった(Schwartz & Gainer, 1977)
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活動が盛んな神経細胞にはエネルギー源であるグルコースが盛んに取り込まれることを利用した2-デオキシグルコース法が用いられた
2-デオキシグルコースはグルコースの類似物質でグルコースと同様に神経細胞に取り込まれるが代謝されないため、取り込まれた部位に長く留まる
放射性同位元素でラベルされた2-デオキシグルコースの取り込みの程度に基づいてラットの脳の活性化部位を調べる
この視交叉上核に含まれる神経細胞の活動を電気生理学的に測定した実験では活動電位の発射頻度に概日リズムが見られ、やはり日中に発射頻度が高く夜間に低いという周期性であった(Inouye & Kawamura, 1979)
ハムスターの視交叉上核を損傷させた実験では、その概日リズムに基づく走行反応のパターンが失われることが示された(Ralph & Lehman, 1991)
視交叉上核がどのように概日リズムを形成しているのか
視交叉上核全体としての神経回路か、視交叉上核に含まれる個々の神経細胞レベルか
視交叉上核の神経細胞を組織培養して各細胞の活動電位の発射頻度の変化が概日リズムを示すかどうかを調べた実験(Welsh et al., 1995)によると、各細胞は脳から取り出された標本の状態になっても約1日のリズムをもった発射頻度周期を示した
つまり、視交叉上核の神経細胞は個々の細胞レベルで概日リズムを形成している
個々の神経細胞における遺伝子発現が概日リズムを示すことがわかっており、いくつかの「時計遺伝子」が同定されている
ただし,活動電位の発射頻度における概日リズムを神経細胞間で比較すると、生体内では細胞同士でほぼ同期しているが、組織培養下ではそれらは同期しない
つまり、個々の細胞レベルで大まかな概日リズムは生成されるが、生体内で観察されるような正確さで同期した概日リズムを示すためには、視交叉上核に含まれる神経細胞に対し何らかの同期信号が与えられねばならないことを意味する
この同期信号が、日照による光刺激だとすると、光受容部位である網膜から視交叉上核への神経線維経路があるはず
視覚経路を切断する実験
切断部位が視交叉よりも前方(視神経): 日照刺激による概日リズムの同期が失われる
切断部位が視交叉よりも後方(視索): 同調能力は失われない
網膜神経節細胞が投射している脳部位を調べるため、トレーサー(標識)を眼球に投与して網膜の神経細胞に取り込ませ、軸索輸送によってトレーサーがどの脳部位に運ばれたかを調べたところ、視交叉上核の神経細胞にそのトレーサーが到達していた
つまり、網膜で受容された光刺激による信号が視交叉上核に伝えられる神経経路が存在することになる
これを網膜視床下部路という
視交叉上核の神経細胞同士の同期には、網膜の神経節細胞に含まれるメラノプシンという色素が重要な役割を果たすことが明らかになった
神経節細胞のうちメラノプシンを含有するものの軸索は視交叉上核に投射している
また生まれつきメラノプシンを持たないマウスを遺伝子工学的手法により作製すると、この遺伝子改変動物では光が概日リズムを同調させる程度が低下していた(Hatter et al., 2002)
つまり、概日リズムのあマスタークロックとして視交叉上核の活性化を同期させているのは、網膜の神経節細胞に存在する色素メラノプシンへの光刺激であると考えられる
2. 睡眠の諸段階と機能
覚醒・睡眠のサイクル
概日リズムを示す代表的な行動の一つ
睡眠
定義「繰り返し起こる意識水準の低下と、外界の刺激に対する反応性の一時的消失」
睡眠不足は翌日の精神活動に影響を及ぼすし、睡眠障害はうつ病などの精神疾患の特徴のひとつとして知られている
さらに基礎研究上の興味としても、睡眠は人間に意識のない状態を作り出していることから、睡眠時と覚醒時の脳の活性の違いを調べることにより、意識の精製にとって重要な脳活動が何か同定できるのではないかという期待
人間の睡眠の研究には、脳波(Electroencephalogram:EEG)がその生理指標として重要な位置を占めている
脳波
1929年にハンス=ベルガー(Berger,H.)によって人間で記録できることが示された生理指標
頭皮上に貼り付けた電極から大脳皮質の電気活動を記録するもの
table: 周波数を基準とした脳波の分類(国際脳派学会)
13 Hz以上 ベータ波
8 Hz ~ 13 Hz アルファ波
4 Hz ~ 8Hz シータ波
4 Hz 未満 デルタ波
1950年代までには、高振幅徐波を特徴とする睡眠(徐波睡眠)がすでに知られ、この第1段階~第4段階の睡眠がすべてであると考えられていた
覚醒時
記録される脳波は振幅が小さく早い波(低振幅速波)
主にベータ波およびアルファ波
睡眠に入ると、それよりも低い周波数成分の脳波が徐々に見られるようになる
第1段階
ベータ波・アルファ波の代わりにシータ波が出現
第2段階
ときおり紡錘波(spindle)やK複合波(K complex)が混在するようになる
紡錘波
14 Hz程度で0.5~1秒間連続して生じる波であり、振幅が初め小さく、次第に大きくなって、やがてまた小さくなっていくという紡錘状の波形
K複合波
0.5~1秒間持続する遅い成分とそれに続く紡錘波との複合波のこと
第3段階
さらに眠りが深くなると高振幅徐波が優勢となる
振幅が大きくゆっくりした波
デルタ波の出現頻度が20~50%のときが第3段階
第4段階
デルタ波の出現頻度が50%を超える
1950年代の終りごろ、レム睡眠(逆説睡眠)が見いだされた
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新たに見いだされた睡眠段階では、脳波は低振幅速波を示しておりこの点では覚醒状態に近いが、筋肉は徐波睡眠時よりもさらに弛緩し、筋電図における波形の変化はほとんど見られなくなる
また、徐波睡眠では見られないような急速眼球運動(Rapid eye movement:REM)を示す
これに対して、従来から知られていたタイプの睡眠である徐波睡眠をノンレム睡眠ともいう
レム睡眠に特有の神経活動としてPGO波が知られている
これは脳幹の橋(pons)で始まり間脳の外側膝状体(lateral geniculate)や大脳の後頭皮質(occipital cortex)で見られる電気応答のこと
PGO波と急速眼球運動のタイミングが同期している
一晩の睡眠は、深い睡眠と浅い睡眠の繰り返しからなる
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典型的には入眠後すみやかに段階4までまず進み、約90分の周期で浅い睡眠になる
この繰り返しとなるが、明け方になると段階3や段階4といった深い睡眠には到達せず、比較的浅い睡眠段階の中で変動する
一晩の睡眠全体の中で、レム睡眠の割合は大体20~25%
当初はレム睡眠が夢を見る睡眠段階と考えられた
寝ている人をこのこのレム睡眠時に起こしてみると、起こされた人がいま夢を見ていたと報告されることが多いため
その後の研究で、ノンレム睡眠のときに起こした場合にも夢を報告しうることがわかっている
レム睡眠時よりは確率は低い
人間の発達や加齢に伴う睡眠の変化
歳をとるとともに一日のうちの睡眠の総時間が徐々に短くなる
睡眠時間は発達に伴い単調に減少する
レム睡眠の割合が減少していく
新生児で50%程度であり、その後減少して、3歳頃には大人並にまで少なくなる
一日の睡眠パターン
乳幼児の場合は一日のうちで何回かに分けて寝る多相性(多相睡眠)
大人では一日につき一度にまとめて寝る単相性となる(単相睡眠)
老人になるとまた多相性になる傾向がある
睡眠の諸特徴はいわゆる高等動物だけでなう、ほかの脊椎動物や無脊椎動物にも広く見られることから、睡眠は動物にとって欠くことのできないものであると推測される
成長ホルモンは睡眠中に多く分泌されることから、睡眠が生体の成長および代謝を促進させるような機能を持つことが考えられる
様々な哺乳動物のあいだで比較すると、一日あたりの徐波睡眠の長さと、その動物の酸素消費量との間に正の相関が見られることから、エネルギーを使う動物種ほど睡眠が必要であることも示唆される(Zepelin & Rechstschaffen, 1974)
睡眠と記憶機能との関連を示す研究も近年盛んに報告されている
睡眠開始後の最初の徐波睡眠時に人間の頭部に電流を流して徐波睡眠の割合を人工的に増やす操作をすると、翌朝に試験された宣言的記憶成績が上昇した例(Marshall et al., 2006)
睡眠前の宣言的記憶課題獲得時に提示された香りと同じ香りを睡眠開始後の徐波睡眠時に嗅がされた場合には翌朝の宣言的記憶成績が良好であった例(Rasch et al., 2007)
3. 覚醒と睡眠の神経メカニズム
以下のような研究に基づき、動物において覚醒状態に保たれるためには、上行性網様体賦活系と呼ばれる脳幹中央部の活動が必要であると考えられた
ネコの脳幹の下部(脊髄寄り)で切断した場合や上部(大脳寄り)で切断した場合に覚醒・睡眠パターンがどうなるかを調べたブレマーの実験(Bremer, 1935)
脳幹下部での切断(下位離断脳)の場合は覚醒・睡眠の周期は保たれたが、上部での切断(上位離断脳)の場合には昏睡状態に陥った
つまり、脳幹の存在が覚醒にとって必要であることがわかる
ネコの脳幹を部分的に破壊したリンズレーらの実験(Lindsley et al., 1950)
外側の感覚伝導路の破壊の場合には覚醒睡眠の周期は保たれたが、内側の網様体(神経細胞が散財しその突起が網状になっている部分)を破壊した場合には昏睡状態となった
現在では、覚醒を司る脳部位や神経伝達物質がより詳細に明らかになっている
上行性網様体賦活系に関与する神経細胞のうち覚醒を司る神経細胞としては、脳幹部分のアセチルコリン作動性神経細胞、ノルアドレナリン作動性神経細胞(青斑核)、セロトニン作動性神経細胞(縫線核)が重要
また、間脳の後部視床下部における覚醒中枢として、ヒスタミン系およびオレキシン系の神経伝達がその役割を果たすことが知られている
オレキシンについては、ナルコレプシー(睡眠発作や脱力発作を伴う疾患)患者にオレキシン含有ニューロンが少なく(Thannickal et al., 2000)、脳脊髄液中のオレキシン濃度がナルコレプシー患者では極端に低い(Dalal et al., 2001)といった知見に基づいて、覚醒のための重要な物質であることがわかった
一方、睡眠を引き起こすための中枢としては、視床下部腹外側視索前野のGABA作動性ニューロンが候補としてあげられている
フリップフロップ仮説
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覚醒中枢と睡眠中枢とが互いに抑制し合うことにより、覚醒あるいは睡眠のどちらかの状態を取るのであって、その中間という不安定な状態には陥らないということの機序をこの説は提唱している
この図におけるシーソーの向きを規定するのは、視交叉上核に始まる概日リズムの指令
視交叉上核から室傍核下位領域、背内側視床下核を経て、睡眠中枢(視床下部腹外側視索前野)またはオレキシン作動性神経細胞のいずれかに交互に興奮性入力を与え、生体の状態を睡眠か覚醒かのどちらか一方に決めている
レム睡眠については橋の破壊によりレム睡眠が消失することから、脳幹の橋がレム睡眠を開始させる中枢と考えられている
橋にアセチルコリン伝達を増強する薬物(アセチルコリン分解酵素を阻害する物質)を注入するとレム睡眠が生じる
橋の結合腕周囲領域にあるアセチルコリン作動性神経細胞の活動が、レム睡眠開始の数十秒前に始まることが示されている(Mansari et al., 1989)
一方、中脳の腹外側中脳水道灰白質への刺激はレム睡眠を抑制する
→11. 脳とコミュニケーション